中学受験の学習は教え方次第!思考力に雲泥の差が生じる!
2023年11月9日
中学受験の学習は教え方次第!思考力に雲泥の差が生じる
(注)こちらの投稿は算数・理科と言った理系思考力に特化した内容となっております。
中学受験を目指す子供達はほぼ中学受験進学塾に小学4年生頃から(遅くとも5年生には)約3年間通塾して受験準備をします。
子供達が通塾する大手進学塾は何処も研究に研究を重ねオリジナルの教材を制作し、その完璧な教材のカリキュラムに沿って受験専門講師が指導をしていきます。
その教材は本当に優れており小学生の子供達にあれやこれやと考えさせたり、公式を駆使しないで自然に自分の頭で問題の解法を導かせたり、より奥深く公式の意味まで理解させるなど・・・・時には高校数学で学ぶ単元を小学生でも理解出来るように工夫を凝らしているのは驚くばかりです。
この優れた教材を専門講師が3年間、しかもとても頭が柔らかい子供時代に指導するのですから思考力が身につき頭脳が良くなるのは当然かもしれません。
私個人的には、中学受験をする・しないに関わらずどの子供達にもこの優れた教材を使って学習をして欲しいと思います。
何故なら中学~高校と進学するに当たって、この優れた教材を使って小学時代に学習したことはかなり今後の「理論的に考える力」「数学力」になるからです。
実際に2022年度の共通テスト(数ⅡB)では、高校数学で習う数列と中学受験で小学生が学ぶ旅人算を絡めた内容が出題されました。
私が指導をしていた高校生(中学受験の経験無し)は数列には理解できていましたが「旅人算(グラフ)」の考えに気づかず共通テスト大問の(1)から失点でした。一方、試しに小学6年生の教え子に解かせてみたら当然高校数学の数列(漸化式を使った解法)の問題は解けませんでしたが、旅人算(グラフ)の問題は解け大問の(1)は正解したと言う衝撃的な思い出があります。
2023年度の共通テストでも数学ⅡBで複利計算と漸化式を絡めた問題が出題され、貯蓄や投資に興味がある生徒には仕組みがよく分かり有利に働いたでしょう。
以前のセンター試験とは違い共通テストでは高校数学の知識だけでなく、中学数学いや小学算数の学習、更には数学知識だけでなく日常の社会経済が絡み合った内容までもが出題されていることからも小学生時代からの奥深く考える力や様々な事象に興味・関心を持つことが今後の学習に如何に大切か!を実感しています。
繰り返しになりますが、大手中学受験進学塾が制作している教材は日常生活に密着した内容であり且つ公式を出来る限り駆使することなく線分図や図案を描いて考えさせる学習で、確実に「子供の頭を良くする」ことは間違いありません。
しかし、最近の中学受験進学塾の講師の指導法や学習法を見ていて私が小学時代に指導を受けたプロ塾講師の指導法とはかなり差異があると実感します。
時代の変遷と共に指導法も移行していくのは勿論納得出来ますが、「中学受験の学習は思考力を身に付ける」と断定出来ない指導法になりつつあることを危惧して止みません。
どういうことか?具体的に例を挙げてみましょう。
【小学4年生で学ぶ数列の問題】
『あるきまりに従って、以下のように数をならべます
3、9、15、21、27・・・・・
(1)左から20番目の数はいくつですか?
(2)左から順に20番目の数まで加えると、その和はいくつになりますか?』
実はこの数列の問題は高校数学でも学びます。
高校数学では
数列の一般項の求め方=初項+公差×(n-1)という公式で学びます。
同じ問題を小学算数では
9~3の差は6、15~9の差も6、21~15の差も6・・・・・
つまり、6ずつ増えた数字が並んでいます。
20番目の数は6を何回増やした数かというと、1番目から20番目までは間の数は19個だから(植木算より)19回増やした数=19×6=114
しかし3からスタートしているから3を加えて114+3=117
いかがでしょうか?
高校数学で初項a、公差d、nを自然数とする一般項an=a+(n-1)dと難しく学び、意味も分からずこの公式に代入して解く高校生が多い中、小学算数ですでに高校数学の公式の意味を理解して解く学習を身に着けています。
結果、高校で数学を学習する時には全く一般項などの公式は必要なく簡単に解答が出来るのです。
更に(2)では高校数学では等差数列の和Sn=項数/2×(初項+末項)といかにも難しく見える公式を学習します。
しかしこの数列の和の公式も(ここでは割愛させていただきますが)小学算数の教材には「何故こうなるのか?」がしっかり解説されており、“通常は”塾でも講師が図案で詳しく指導してくれます。
そのため高校入学後、数学で学習する数列は全く新知識ではなく当たり前のこととして授業を受けられました。
中学受験で学習した生徒は明らかに高校数学の数列では、数列の本質の意味が理解出来ており公式を記憶していなくても自分で組み立て解法する力を身に着けていたのです。
しかし昨今の塾指導にも異変が生じていると感じます。(全ての塾に該当するワケではありません)
私が指導する大手塾に通塾している生徒の中には、平気で「□番目は初めの数+公差×(□-1)だから・・・・」と得意気に公式を唱えて代入して求める子供が多く見受けられるようになりました。
「塾講師自身、中学受験経験が無い」「公式で覚えさせた方が効率的」「公式の意味を解説する授業時間が無い」など様々な理由が考えられますが、これでは中学受験の学習をしても「論理的思考力」は全く身につきません。
身につかないどころか、「自分は高度な公式を知っている」「高度な解法を知っている」といった自尊心ばかりが募り、更に「公式を記憶することで算数(数学)が出来るようになる」と錯覚を起こし、更に更にこれが習慣化すると、中学、高校と進学するにつれて「解法テクニックの記憶頭脳」化してしまい、飛んでもなく「論理的思考力」が欠け「考えること」自体が分からなくなると言った悪化の一途を辿る羽目になりかねません。
『絶対に避けたい指導』と言えるでしょう。
中学受験の指導法に於いて、数列だけでなく多くの単元でこの危険性が目立つようになってきました。
折角、塾が長年にわたって苦労を重ねて制作した優れた教材もこのような学習法では意味がありません。
典型的な具体例を少し挙げましょう。
先ずは「場合の数」です。
【1.小学5年生で学ぶ場合の数の問題】
1.『A.B.C.D.E.F.の6人の班で班長と副班長を1人ずつ選びます。班長と副班長の選び方は何通りですか?』
2.『A.B.C.D.E.Fの6人の中から2人の日直を選びます。選び方は何通りですか?』
これらの場合の数の問題は高校数学で順列(P)、組み合わせ(C)で学習します。
小学算数では嘗ては先ず一度樹形図を書かせて数えるところから学びました。
そして、1.と2.の問題の違いを実体験して「2.の問題では何故÷2をするのか?」を理解させる指導法でしたが、最近は塾講師が平気で「1.の問題は6P2だから6×5の30通りだね」「2.の問題は6C2だから6×5÷2×1の15通りだね」と指導をしている機会を見受けます。
生徒は「P?C?」「なぜCだと÷の?」と不思議に思うもスルーして学習します。
2.の問題で私の塾では一度生徒に樹形図を書かせます。
すると「あっ!2回同じものを数えている~」と子供は実感し『なぜ2.の問題は2で割らなければいけないのか?』が理解出来るのです。
が、このような実体験からの気づきを与える講師の指導が薄れている危機感を感じます。
更にこんな実例もあります。
【2.小学6年生で学ぶ「速さと比」の問題】
『A君は毎朝同じ時刻に家を出て学校へ行きます。分速90mで歩くと8時25分に着きますが、自転車に乗って分速300mで行くと8時11分に着きます。A君が毎朝家を出る時刻は何時何分ですか?』
実はこのような問題も中学数学の“方程式”の単元で応用問題として学習します。
が、方程式を学習していない小学生の算数では本来、以下のように指導をすることで子供の「論理的思考力」が身につきました。
【指導者】
「歩きと自転車では速さの比は何対何ですか?」
【生徒】
「90m/分:300m/分だから3:10」
【指導者】
「そうだね~!簡単に言えば1分間に歩きだと③、自転車だと⑩進めるってことだね!」
「だとしたら、同じ距離を歩くのと自転車だとかかる時間は何対何になるのかな?」
【生徒】
「う~ん?歩きの方が少ししか進まないから、沢山時間がかかるよね!そっか!その比の逆でかかる時間の比は歩き:自転車は10:3 」
【指導者】
「そうそう!同じ通学路を歩くと時間は10かかり、自転車だと3で到着するってことだね」
「つまり、歩くのと自転車では10―3=7の時間差があるってことになるね」
「だとしたら、今同じ通学路を歩きと自転車では25分-11分=14分の差があるってことだから、この7が14分。1は2分って分かりました。」
「歩きにかかった時間は10だから10×2分=20分かかったことになるね。家を出る時間は20分前の8時5分が正解」
いかがですか?
嘗てはこのように公式を駆使することなく、頭でイメージをして(慣れれば)計算すらすることなく簡単に解答に誘導する指導がなされてきました。
しかも、一つ一つ理論的に考える思考力を楽しみながら導いていきました。
更に、公式を駆使せず小学算数なら以下のようなユニークな解法も出来ます。
【指導者】
「歩きと自転車は同じ通学路だから、仮に自分で距離を○mと設定してみましょう」
「1mでも100mでも良いけど、1分間に90m、300m進むってことだから計算しやすいように900m(90と300の最小公倍数)に設定してごらん!」
「90m/分の歩きだと何分かかる?自転車だと何分かかる?」
【生徒】
「歩きだと900m÷90で10分、自転車だと900m÷300で3分。差は7分。あっそうか!今14分の差だから距離が2倍。通学路は1800mってことだ!かかった時間も2倍して歩きだと20分かかったってことだ」
【指導者】
「そうそう、こんな考え方も出来るね。」
このように、公式を駆使しなければ様々な考え方で解法を導くことができ「柔軟な考え方」ができる様になるのです。
この「柔軟性」が今後の「数学力」に大きな影響を与えると言っても過言ではありません。
ところが最近の塾では
「歩く時間を□分、自転車の時間を(□-14)分と置きます。同じ距離を進む時間の比と速さの比は反対になるから、歩き:自転車の速さの比は90:300=3:10が反対になり・・・
歩きにかかる時間:自転車にかかる時間=10:3=□:(□-14)
3×□=10×(□-14)
3×□=10×□-140
7×□=140
□=20
「歩きにかかった時間は20分ですね」
このような指導を受けている生徒を多く見受けるようになりました。
これは中学生の方程式による解法です。
『中学生の先取り指導を受けることは受験に有利』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは小学時代の「自分で考える力」を身に着けてこそ意味があることであり、まだ算数の力が完璧でない子供にこのような先取り学習をすることは益々「考える力」を阻止することになりかねません。
このような「公式を組み立てる」学習法が小学時代から習慣化すると現象を頭でイメージすることが全く出来なくなります。
現象が頭でイメージ出来ないと、中高生での理数系科目は先ず出来なくなります。
ほぼ数学が苦手な生徒は公式を組み立てることにばかり執着し、現象をイメージして考える力が身についていないことに原因があります。
これは小学時代からの「考える力」を育ててこなかった点に問題があると言っても過言ではありません。
そして恐ろしいことに考える力が乏しい生徒は、中学~高校数学と難しくなればなるほど
公式に依存した学習法に傾いていきます。
「どの公式を使えば解けるのか?」にばかり執着し、遂には「解法のテクニックの記憶頭脳」化し中高時代の理数系科目に苦戦する結果になることは明らかです。
「考える力」を身に着けるには、
『出来る限り公式を教えない・使わない』
『実践して「何故そうなるのか?」に気づかせる』
塾講師がこの点に徹した指導法をすることが大切と感じます。
また最近は
・線分図や図案を書かない
・ノートが中高生のように綺麗に公式が羅列している
・棒人間などを書いて問題の現象を絵でイメージしない
生徒を多く見受けます。
算数の現象をイメージするには絵、図案、線分図をあれやこれやとノートに書きまくることで理解が深まり、「考える力」が育成されるのです。
この作業なくして「思考力」は決して身につきません。
このような学習法がもし習慣化していないなら、通塾している講師の指導法を今一度見直してみましょう。
折角素晴らしい教材があるにも関わらず、指導法を誤ると思考力を身に着けるどころか「解法テクニックの記憶頭脳」ばかりを育成してしまい、これが厄介なことに中学~高校にまで影響を与えかねないことに親御さんも注意が必要です。
『同じ教材で学習をしていても、指導法で子供の思考力に雲泥の差が生じる』のです。
「塾で学習しているから大丈夫」と過信しないで、時には「どのように学んでいるのか?」「どのような指導を受けているのか?」実際にノートを見て指導法を確かめるなどに努めて欲しいと願います。
繰り返しになりますが
『中学受験の学習は教え方次第!思考力に雲泥の差が生じる!』のです。
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(注)こちらの投稿は算数・理科と言った理系思考力に特化した内容となっております。
中学受験を目指す子供達はほぼ中学受験進学塾に小学4年生頃から(遅くとも5年生には)約3年間通塾して受験準備をします。
子供達が通塾する大手進学塾は何処も研究に研究を重ねオリジナルの教材を制作し、その完璧な教材のカリキュラムに沿って受験専門講師が指導をしていきます。
その教材は本当に優れており小学生の子供達にあれやこれやと考えさせたり、公式を駆使しないで自然に自分の頭で問題の解法を導かせたり、より奥深く公式の意味まで理解させるなど・・・・時には高校数学で学ぶ単元を小学生でも理解出来るように工夫を凝らしているのは驚くばかりです。
この優れた教材を専門講師が3年間、しかもとても頭が柔らかい子供時代に指導するのですから思考力が身につき頭脳が良くなるのは当然かもしれません。
私個人的には、中学受験をする・しないに関わらずどの子供達にもこの優れた教材を使って学習をして欲しいと思います。
何故なら中学~高校と進学するに当たって、この優れた教材を使って小学時代に学習したことはかなり今後の「理論的に考える力」「数学力」になるからです。
実際に2022年度の共通テスト(数ⅡB)では、高校数学で習う数列と中学受験で小学生が学ぶ旅人算を絡めた内容が出題されました。
私が指導をしていた高校生(中学受験の経験無し)は数列には理解できていましたが「旅人算(グラフ)」の考えに気づかず共通テスト大問の(1)から失点でした。一方、試しに小学6年生の教え子に解かせてみたら当然高校数学の数列(漸化式を使った解法)の問題は解けませんでしたが、旅人算(グラフ)の問題は解け大問の(1)は正解したと言う衝撃的な思い出があります。
2023年度の共通テストでも数学ⅡBで複利計算と漸化式を絡めた問題が出題され、貯蓄や投資に興味がある生徒には仕組みがよく分かり有利に働いたでしょう。
以前のセンター試験とは違い共通テストでは高校数学の知識だけでなく、中学数学いや小学算数の学習、更には数学知識だけでなく日常の社会経済が絡み合った内容までもが出題されていることからも小学生時代からの奥深く考える力や様々な事象に興味・関心を持つことが今後の学習に如何に大切か!を実感しています。
繰り返しになりますが、大手中学受験進学塾が制作している教材は日常生活に密着した内容であり且つ公式を出来る限り駆使することなく線分図や図案を描いて考えさせる学習で、確実に「子供の頭を良くする」ことは間違いありません。
しかし、最近の中学受験進学塾の講師の指導法や学習法を見ていて私が小学時代に指導を受けたプロ塾講師の指導法とはかなり差異があると実感します。
時代の変遷と共に指導法も移行していくのは勿論納得出来ますが、「中学受験の学習は思考力を身に付ける」と断定出来ない指導法になりつつあることを危惧して止みません。
どういうことか?具体的に例を挙げてみましょう。
【小学4年生で学ぶ数列の問題】
『あるきまりに従って、以下のように数をならべます
3、9、15、21、27・・・・・
(1)左から20番目の数はいくつですか?
(2)左から順に20番目の数まで加えると、その和はいくつになりますか?』
実はこの数列の問題は高校数学でも学びます。
高校数学では
数列の一般項の求め方=初項+公差×(n-1)という公式で学びます。
同じ問題を小学算数では
9~3の差は6、15~9の差も6、21~15の差も6・・・・・
つまり、6ずつ増えた数字が並んでいます。
20番目の数は6を何回増やした数かというと、1番目から20番目までは間の数は19個だから(植木算より)19回増やした数=19×6=114
しかし3からスタートしているから3を加えて114+3=117
いかがでしょうか?
高校数学で初項a、公差d、nを自然数とする一般項an=a+(n-1)dと難しく学び、意味も分からずこの公式に代入して解く高校生が多い中、小学算数ですでに高校数学の公式の意味を理解して解く学習を身に着けています。
結果、高校で数学を学習する時には全く一般項などの公式は必要なく簡単に解答が出来るのです。
更に(2)では高校数学では等差数列の和Sn=項数/2×(初項+末項)といかにも難しく見える公式を学習します。
しかしこの数列の和の公式も(ここでは割愛させていただきますが)小学算数の教材には「何故こうなるのか?」がしっかり解説されており、“通常は”塾でも講師が図案で詳しく指導してくれます。
そのため高校入学後、数学で学習する数列は全く新知識ではなく当たり前のこととして授業を受けられました。
中学受験で学習した生徒は明らかに高校数学の数列では、数列の本質の意味が理解出来ており公式を記憶していなくても自分で組み立て解法する力を身に着けていたのです。
しかし昨今の塾指導にも異変が生じていると感じます。(全ての塾に該当するワケではありません)
私が指導する大手塾に通塾している生徒の中には、平気で「□番目は初めの数+公差×(□-1)だから・・・・」と得意気に公式を唱えて代入して求める子供が多く見受けられるようになりました。
「塾講師自身、中学受験経験が無い」「公式で覚えさせた方が効率的」「公式の意味を解説する授業時間が無い」など様々な理由が考えられますが、これでは中学受験の学習をしても「論理的思考力」は全く身につきません。
身につかないどころか、「自分は高度な公式を知っている」「高度な解法を知っている」といった自尊心ばかりが募り、更に「公式を記憶することで算数(数学)が出来るようになる」と錯覚を起こし、更に更にこれが習慣化すると、中学、高校と進学するにつれて「解法テクニックの記憶頭脳」化してしまい、飛んでもなく「論理的思考力」が欠け「考えること」自体が分からなくなると言った悪化の一途を辿る羽目になりかねません。
『絶対に避けたい指導』と言えるでしょう。
中学受験の指導法に於いて、数列だけでなく多くの単元でこの危険性が目立つようになってきました。
折角、塾が長年にわたって苦労を重ねて制作した優れた教材もこのような学習法では意味がありません。
典型的な具体例を少し挙げましょう。
先ずは「場合の数」です。
【1.小学5年生で学ぶ場合の数の問題】
1.『A.B.C.D.E.F.の6人の班で班長と副班長を1人ずつ選びます。班長と副班長の選び方は何通りですか?』
2.『A.B.C.D.E.Fの6人の中から2人の日直を選びます。選び方は何通りですか?』
これらの場合の数の問題は高校数学で順列(P)、組み合わせ(C)で学習します。
小学算数では嘗ては先ず一度樹形図を書かせて数えるところから学びました。
そして、1.と2.の問題の違いを実体験して「2.の問題では何故÷2をするのか?」を理解させる指導法でしたが、最近は塾講師が平気で「1.の問題は6P2だから6×5の30通りだね」「2.の問題は6C2だから6×5÷2×1の15通りだね」と指導をしている機会を見受けます。
生徒は「P?C?」「なぜCだと÷の?」と不思議に思うもスルーして学習します。
2.の問題で私の塾では一度生徒に樹形図を書かせます。
すると「あっ!2回同じものを数えている~」と子供は実感し『なぜ2.の問題は2で割らなければいけないのか?』が理解出来るのです。
が、このような実体験からの気づきを与える講師の指導が薄れている危機感を感じます。
更にこんな実例もあります。
【2.小学6年生で学ぶ「速さと比」の問題】
『A君は毎朝同じ時刻に家を出て学校へ行きます。分速90mで歩くと8時25分に着きますが、自転車に乗って分速300mで行くと8時11分に着きます。A君が毎朝家を出る時刻は何時何分ですか?』
実はこのような問題も中学数学の“方程式”の単元で応用問題として学習します。
が、方程式を学習していない小学生の算数では本来、以下のように指導をすることで子供の「論理的思考力」が身につきました。
【指導者】
「歩きと自転車では速さの比は何対何ですか?」
【生徒】
「90m/分:300m/分だから3:10」
【指導者】
「そうだね~!簡単に言えば1分間に歩きだと③、自転車だと⑩進めるってことだね!」
「だとしたら、同じ距離を歩くのと自転車だとかかる時間は何対何になるのかな?」
【生徒】
「う~ん?歩きの方が少ししか進まないから、沢山時間がかかるよね!そっか!その比の逆でかかる時間の比は歩き:自転車は10:3 」
【指導者】
「そうそう!同じ通学路を歩くと時間は10かかり、自転車だと3で到着するってことだね」
「つまり、歩くのと自転車では10―3=7の時間差があるってことになるね」
「だとしたら、今同じ通学路を歩きと自転車では25分-11分=14分の差があるってことだから、この7が14分。1は2分って分かりました。」
「歩きにかかった時間は10だから10×2分=20分かかったことになるね。家を出る時間は20分前の8時5分が正解」
いかがですか?
嘗てはこのように公式を駆使することなく、頭でイメージをして(慣れれば)計算すらすることなく簡単に解答に誘導する指導がなされてきました。
しかも、一つ一つ理論的に考える思考力を楽しみながら導いていきました。
更に、公式を駆使せず小学算数なら以下のようなユニークな解法も出来ます。
【指導者】
「歩きと自転車は同じ通学路だから、仮に自分で距離を○mと設定してみましょう」
「1mでも100mでも良いけど、1分間に90m、300m進むってことだから計算しやすいように900m(90と300の最小公倍数)に設定してごらん!」
「90m/分の歩きだと何分かかる?自転車だと何分かかる?」
【生徒】
「歩きだと900m÷90で10分、自転車だと900m÷300で3分。差は7分。あっそうか!今14分の差だから距離が2倍。通学路は1800mってことだ!かかった時間も2倍して歩きだと20分かかったってことだ」
【指導者】
「そうそう、こんな考え方も出来るね。」
このように、公式を駆使しなければ様々な考え方で解法を導くことができ「柔軟な考え方」ができる様になるのです。
この「柔軟性」が今後の「数学力」に大きな影響を与えると言っても過言ではありません。
ところが最近の塾では
「歩く時間を□分、自転車の時間を(□-14)分と置きます。同じ距離を進む時間の比と速さの比は反対になるから、歩き:自転車の速さの比は90:300=3:10が反対になり・・・
歩きにかかる時間:自転車にかかる時間=10:3=□:(□-14)
3×□=10×(□-14)
3×□=10×□-140
7×□=140
□=20
「歩きにかかった時間は20分ですね」
このような指導を受けている生徒を多く見受けるようになりました。
これは中学生の方程式による解法です。
『中学生の先取り指導を受けることは受験に有利』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは小学時代の「自分で考える力」を身に着けてこそ意味があることであり、まだ算数の力が完璧でない子供にこのような先取り学習をすることは益々「考える力」を阻止することになりかねません。
このような「公式を組み立てる」学習法が小学時代から習慣化すると現象を頭でイメージすることが全く出来なくなります。
現象が頭でイメージ出来ないと、中高生での理数系科目は先ず出来なくなります。
ほぼ数学が苦手な生徒は公式を組み立てることにばかり執着し、現象をイメージして考える力が身についていないことに原因があります。
これは小学時代からの「考える力」を育ててこなかった点に問題があると言っても過言ではありません。
そして恐ろしいことに考える力が乏しい生徒は、中学~高校数学と難しくなればなるほど
公式に依存した学習法に傾いていきます。
「どの公式を使えば解けるのか?」にばかり執着し、遂には「解法のテクニックの記憶頭脳」化し中高時代の理数系科目に苦戦する結果になることは明らかです。
「考える力」を身に着けるには、
『出来る限り公式を教えない・使わない』
『実践して「何故そうなるのか?」に気づかせる』
塾講師がこの点に徹した指導法をすることが大切と感じます。
また最近は
・線分図や図案を書かない
・ノートが中高生のように綺麗に公式が羅列している
・棒人間などを書いて問題の現象を絵でイメージしない
生徒を多く見受けます。
算数の現象をイメージするには絵、図案、線分図をあれやこれやとノートに書きまくることで理解が深まり、「考える力」が育成されるのです。
この作業なくして「思考力」は決して身につきません。
このような学習法がもし習慣化していないなら、通塾している講師の指導法を今一度見直してみましょう。
折角素晴らしい教材があるにも関わらず、指導法を誤ると思考力を身に着けるどころか「解法テクニックの記憶頭脳」ばかりを育成してしまい、これが厄介なことに中学~高校にまで影響を与えかねないことに親御さんも注意が必要です。
『同じ教材で学習をしていても、指導法で子供の思考力に雲泥の差が生じる』のです。
「塾で学習しているから大丈夫」と過信しないで、時には「どのように学んでいるのか?」「どのような指導を受けているのか?」実際にノートを見て指導法を確かめるなどに努めて欲しいと願います。
繰り返しになりますが
『中学受験の学習は教え方次第!思考力に雲泥の差が生じる!』のです。